2016年2月19日、われわれ一行は、成田空港で落ちあい、フィンランド・ヘルシンキ空港に向かった。「ムーミン」と名乗ることになるこの一団は、のちに素晴らしき一体感のもと互いに意見を深掘りし合う仲となるのであるが、その話は、後にとっておこう。
出だしを小説風に書き始めてみたのは、単なる気分だが確かに小説にしたくなるくらい、今回はメンバーに恵まれた。今回の視察の主催者である保育士養成の大学の先生方3名に現役の保育士、児童文学専攻の図書館司書、保育学生に加え、世界を股にかけた元エリートビジネスマン、そして私と事務局長という顔ぶれだ。
言い換えれば、保育園(認定こども園)、小学校(中高は抜けるものの)、大学、会社(社会人)、そして子育て支援と生涯教育という、ある意味で互いの背景がつながり合った関係性とも言えるメンバーだ。このようなメンバーで行われた視察が、どれほど示唆に富み、エキサイティングであったかは、想像に難くないであろう。
フィンランドを含め、北欧の保育事情において、もっとも驚かされるのは、日本で問題となっている「待機児童」などという言葉は無縁であるということだ。というのも、市などの自治体は、必要とするすべての親に対して、保育を提供する義務があり、これが守られないと罰せられることが、国の法律で決まっているのだ。
そして、そのための予算は、充分に割かれることが前提となっている。それだけ、保育と幼児教育に対する国のプライオリティが高いということだ。こうした法整備がしっかりしている一方で、保育園の運営は、自治体と園に任せられているため、現場の意見がより反映されやすい構造が出来ている。
さて、それでは早速、最初の視察を振り返ってみようと思う。飛行機を降りて、最初に訪れたのは、ヘルシンキの都市部から車で1時間半ほど走ったロホヤ市の公立保育園。自然豊かな住宅地の中の十分な敷地の中に、園舎がひっそりと佇んでいた。
この園は、開園して3年で、園舎や遊具は新築されたので設備は最新だ。いかにも北欧らしい洗練されたデザインが目を引く。この園を訪れて、いたく感心したことがある。それは、園内に配置された家具や備品類が、保育士の意見を取り入れて導入されていることだ。保育園で使われる園児用のイスや机というと、小さくて低いカワイイものを想像するかと思う。しかし、これは、保育士にとってはくせ者で、園児と接する際に常に膝を曲げてかがまなければならず、これを繰り返すことにより、保育士の多くは、年数を重ねると腰や膝を痛めてしまう。これは、保育士の職業病と言われている。
この園では、保育士たちのこうした声を反映して、園児の机やイスに、背の高いモノを採用している。これによって、保育士は、屈んだり、立ち上がったりする頻度が圧倒的に減り、腰や膝への負担を減らすことが出来ている。この問題に対する工夫は、それだけではない。例えば、園児の着替えを手伝う際にも、専用の着替え台があり、保育士が屈まなくても、着替えが手伝えるようになっている。
また、棚一つを見ても、保育士が読み聞かせる絵本は、高い位置に収納できて、園児が遊ぶおもちゃは、低い位置に収納できるような作りになっている。これらは、ちょっとしたことだが、保育士の労働環境を各段に良くしている。現場の保育士の声がないと、決して実現されない。それこそが、本当に素晴らしい。
感心したのは設備などのハード面だけではない。ソフト面においても素晴らしいポイントをみることができた。この園では、「子どもたちの体験」を非常に重視し、子どもたちが手足を動かして活動すること、特に野外での活動を促している。そうして体験の中から学び、社会性を身に付けることを目標としている。これ自体は、どの国でも、どの園でも大事にされている正論だが、これを実践し、園の文化として、親と園でこの考えを共有している点が素晴らしいのである。入園時に、先生は親にこんなことを伝えるらしい。
「たんこぶのない子どもなんて、不健康ですよ!」
なんと、ステキな例えではないか!子どもは、小さな痛い目を、たくさん被ることで、大きな危険を回避する感覚が身につくものである。だから、子どもに小さなケガはつきものであるし、そうした経験の中から得るものは大きい。しかし、保育者として、心配なのは親の反応である。だから、はじめから、この素敵な考え方を親と共有しているのである。他にも、園児がケガをしてしまった時は、必ず親に知らせ、ケガをしてしまった状況や経緯を、丁寧に報告するようにしているという。その結果、この園に子どもを預ける親から、子どものケガに関するクレームは一切ないと、園長先生が話してくれた。
また、この園では算数や言語などのお勉強についても、あくまで体験の中で学べる範囲で行っているそうだ。むしろ、お勉強よりも、社会性や協調性を育むことに力を入れているという。これに対して、親は「もっと勉強を教えて欲しい」というのかと思いきや、親の方も「勉強よりも社会性や体験が大事」という考えなのだそうだ。余談だが、OECDの学力調査(PISA)で、フィンランドが1位となったカギは、どうやらここらへんにありそうだ。
このように親と園とが、同じ方向を向いた関係が築けているのには、秘密がある。この園では、入園時に1時間の個別面談をして、毎月保護者会を行い、さらに、毎日の送り迎えの際に担当保育士が積極的に、そして丁寧にコミュニケーションすることで、親と園が同じ方向を向いていられる状況を作っている。つまり「信念と文化と価値観」を共有するための仕組みやルールが具体的な運営に組み込まれているのだ。国民性もあるのであろうが、日本もかくあるべきと思わされる次第であった。
そう言えば、今回の視察メンバーの一人の現役保育士が、これを聞いてつぶやいた一言が印象的だった。「送り迎えの時間に、親とゆっくり話をするなんて、日本では、とてもそんな時間はとれない。うらやましい。」確かに、園児数80人に対して、保育士を含めた職員が30名もいるからこそ出来ることなのかもしれない。いずれにしても、親と園とが「信念と文化と価値観」を共有すること、担当保育士と親が親密にコミュニケーションをとることは、これからの日本の保育においても、最重要視されるべきことであろう。
この保育園で、園児たちが食べる給食をいただいた!実においしかった!ちなみに、ペーパーナプキンは、マリメッコ製。
次のページ次に訪れたのは、私立保育園「テナバ・ラークソ(子どもたちの谷)」。フィンランドでは、公立も私立も親が払う保育料は同じ(0~354ユーロ(日本円で0~約4万円)・世帯年収と子どもの数で決まる)で、基本的に保育の質も大差はない。親が保育園を選ぶ基準は、家から近い、会社から近いなどの利便性だという。確かに今回訪れた私立保育園も、敷地はゆったりしていて、施設も新しく、公立と大きな差はない。
この園は、「フィンランド子どもの家」という会社によって運営されている。この会社は、全国で26の園を運営しており、自前で給食センターをもっている。オーナーは、ノルウェーの会社で、北欧やオランダなどで手広く保育園を展開し、園の買収なども積極的に進めているそうだ。
そんなビジネスライクな裏事情とは裏腹に、この園の雰囲気は、のんびりしていて、公立の園と何ら変わらない印象だ。そこには、効率化や利益追求というような一般企業的な要素は見られない。園児数に応じた補助金によって、公立園と同じ運営が出来るだけの運営費がまかなわれる、いわば市の下請けのようなものらしい。
実際話を聞いてみると、先日訪れた公立保育園と、基本的に同じであった。この園でも、外遊びによる体験を重視しており、2週間に1回「森あそびの日」を設けて、一日中森で過ごしている。これは、親から好評を得ているらしい。
また、親との連携も重視しており、入園時(秋学期)のはじめに、両親との1時間の個別面談を持ち、そこで園児一人一人の育成目標を親と共有し、春学期のはじめに、その成果を共有する。また、担当保育士は、毎日の送り迎えの時の親との丁寧なコミュニケーションを行い、毎日メールで写真入りの日誌を送っているそうだ。こうした個々の親に対するコンタクトが徹底しているところも、公立保育園と同じである。
ただし、まったく問題がないわけではないようだ。この園でも保育士の確保が年々難しくなっているらしい。保育士のなり手がいないのだ。その原因の一番は、保育士の給与水準の低さと、社会的ステータスの低さだと言う。一般的な一家の大黒柱の収入は、月3500ユーロ、それに対し保育士(高卒)は2200ユーロ、保育の先生(大卒)は2400ユーロである。つまり、保育士1人では一家を支えていく事は出来ない。この問題は、日本の私立園でも全く同じである。保育・幼児教育では日本より先を歩いているフィンランドでも、保育士の問題は、同じであることがわかった。
最後に、フィンランドの子どもたちと、手遊び歌を一緒にやって交流した。
次のページフィンランドには、「ネウボラ」と呼ばれる子育て支援サービスがある。フィンランド語で“ネウボ(neuvo)=アドバイス”“ラ(la)=場所”という意味だそうだ。ネウボラは、妊娠期から子どもが6歳になるまで、切れ目なく家族を支援してくれる。これを国が主導して、市などの自治体が運営している。これだけ聞くと、日本の子育て支援センターや子育て広場と同じではないかと思われるかもしれない。しかし、ネウボラは、よりシステマティックであり、より手厚く、より身近で、利用しやすい。
実際、ネウボラが提供する総合的な子育て支援によって、フィンランドの親は、生まれてくる赤ちゃんが「国から歓迎されている気がする」と言うのである。フィンランドでは、赤ちゃんが生まれた親に、政府から出産祝いとして育児パッケージがプレゼントされる。そこには、衣類からオムツ、そして避妊具まで、約50点が入っている。この育児パッケージが、ネウボラを利用する動機づけであり、最初の接点となっているのだ。まさに、赤ちゃんの誕生を国ぐるみで歓迎し、サポートしていくということを、親は実感するのであろう。
日本の子育て支援においても、支援の必要なお母さんほど、内にこもってしまい、利用してもらえないのが問題となっている。このフィンランドの出産祝いは、その解決策の一つかもしれない。
前置きはこれくらいにして、われわれが訪れたロホヤ市の話をしよう。ネウボラの運営は、各自治体に任されているので、運営形態はそれぞれだ。保育園の中にネウボラだけを設置しているケースもあれば、ロホヤ市のように、ファミリーセンターを設置して、その中にネウボラをはじめ、様々なサービスを総合的に設置するケースもある。
ロホヤ市では、福祉を意味する「welfare(よく暮らす)」を発展させて「well-be(よく存在する)」ということで「welfare から well-be へ」というスローガンを掲げ、より総合的に家族をサポートする体制づくりを進めているそうだ。
このファミリーセンターは、その一環として、ネウボラの他にも、精神科医や各種セラピー(言語、神経、運動)、ソーシャルワーカーなどが、それぞれ独立ブースで待機しており、基本的に無料でサービスが受けられる。そう話してくれたのは、このファミリーセンターのセンター長さんだ。
つまり、お母さんは、子育てのことで何か悩みや問題があったら、まずファミリーセンターへ足を運べば、解決の第一歩を踏み出すことが出来るようになっている。例えば、子どもの言語発達に心配のあるお母さんは、授乳のついでに言語セラピストに相談できる。あるいは、運動発達に心配があれば、運動セラピストに相談し、その場でプロによる運動観察が受けられる。
必要に応じて、お母さんの子どもへの接し方を、別室から観察するための部屋も用意されている。うつ傾向のお母さんが、精神科医の診断を受けることも出来る。どれも、普通なら訪れるには敷居が高いし、まずどこにその専門科がいるのかを探すことから始めなければならない。それが、普段から気軽に訪れているファミリーセンターで、事が済んでしまうのだ。
また、より身近に、より気楽に来てもらえるように、以前は市庁舎の中に合ったこのセンターを、ショッピングモールに移設したという。これは、なかなか良いアイデアだ。実際この町で一番にぎわっているショッピングモールの中に、お店に並んでファミリーセンターがある。これは、身近に感じられる。
次のページ(注:スウェーデンの制度では、厳密にはプレスクールと呼ぶのが正しいが、本稿では、あえて一貫して保育園と呼んでいる)
フィンランドの視察を終えて、われわれ一行は、スウェーデンへと向かった。最初に訪れたのは、ストックホルム郊外のリデンギョ市のある特徴的な教育を提供する私立保育園だ。「ムッレ教育」と呼ばれるその教育法は、自然の中での体験を中心に据え、子どもたちが、自然にふれあい、体で自然を理解し、自然が好きになり、自然を大切にする優しい心を育てるというもの。
ストックホルム郊外の閑静な住宅街の中に、森のムッレ保育園はあった。もともとは戸建ての二階建住宅だった建物が園舎となっている。決して広くはないが、必要にして十分な大きさだ。基本的な活動場所を、園庭や森の中、スキー場や湖としているムッレの子どもたちにとっては、あまり関係ないようだ。
園庭見学の後、園舎の中を見学した。キッチンは、一般住宅のフルキッチンだが、園児数25名のこのムッレ保育園では、必要にして十分な様子だ。それよりも驚いたのは、なんと専属のコックさんがいること。スウェーデンでは、自園調理は義務付けられていないので、これは、この園のこだわりなのだ。ダイニングの壁には、森のムッレを象徴する絵が壁一面に描かれている。
このダイニングとリビング部分は、食堂と子どもたちの共有のあそび場とミーティングルームを兼ねた多目的スペースで、2階には子どもたちのプレイルームがある。広くはないが、とても心地の良い空間になっている。しかし実際のところ、ほとんどの活動を外で行い、お昼寝でさえ外で寝袋を敷いて寝るムッレの子どもたちは、それほど長い時間園舎では過ごさない。
今回は、時間の都合で、森のムッレ保育園名物の森あそびを見学することが出来なかったのが心残りだったが、このあと園長先生がスライドの写真を交えて、普段の活動を説明してくれた。
この森のムッレ保育園は、一日のほとんどを外で過ごす。つまり、自然の中の体験から学ぶ方針なのだ。晴れた日だけでなく、雨の日も、雪の日も、寒い日も、暑い日も。スウェーデンの冬は、マイナス20℃まで下がる日もある。そんな日でも、活動場所は外なのである。そのため、園児たちは、かなり本格的な防寒具や防水の洋服を、それぞれ園舎に準備している。
こうして外で過ごすことの狙いは、丈夫な体をつくること。そして、自然に親しむことで、自然を大切にする心を育むこと。同時に、自然から様々なことを学ぶ。それは、机上では得られない学びであり、幼児期には、かけがえのない体験なのである。季節に応じて自然は変化し、遊びも変化する。ムッレでは、自然の中の活動の種類に応じて、ワッペンを用意しており、子どもたちは修了証のような意味合いで、それぞれの活動を修めるとワッペンをもらえる。より多くのワッペンを付けた子は、それだけ多くの経験をしているということで、親から、あるいは先生から褒めてもらえる。また、本人のモチベーションにもなり、他の園児から一目置かれることにもつながる。
この森のムッレ保育園は、広い園舎も、広い園庭もなくても、自然を活動場所に選べば、こんなに理想的な保育が可能なのだと、教えてくれた。実際、この園の評判は上々で、常に待ちが出ているそうだ。
次のページ「家庭的保育」という保育スタイルをご存じだろうか?日本でも都市部で導入されている仕組みだ。もともと、自分の子どもを家で世話するお母さんが、近所の子も一緒に面倒みるというもので、近くに保育園がない地区における保育の受け皿として機能してきた、北欧では昔からある制度だ。地方自治体から、子ども一人あたりの保育料として、補助金が支給されて運営され、4から6人くらいの子どもを、自宅で保育する。
家庭的保育は、保育者の子どもが保育年齢を過ぎると、保育者をやめてしまうことが多いため、年々その数は減り、今ではマイナーになってしまっているが、今回訪問した方のように、自分の子どもが卒業した後、一度は家庭的保育を辞めたが、また再開したケースもある。
今回訪問したグニラ・ユガンダーさんの家庭的保育所は、ストックホルム郊外のリデンギョ市という比較的高級な地区の集合住宅の中にあった。ドアに、私たち視察団を歓迎する飾り付けが施されているのを見ても、この家庭的保育者の方の温かみを感じる。
スウェーデンの国民は、家にお金をかけ、いつでも家をキレイに保つのが普通なのだそうだ。彼女の家も、本当にモデルルームのように片づいていて、てっきり我々が訪れるからキレイにしてくれたのかと思っていたが、どうやら、いつでもこのようにキレイに暮らすのがスウェーデン人らしい。
家庭的保育という語感の通り、グニラさんの保育は、時におばあちゃんのようにあたたかく、そして時には母親のように厳しく、まさに第二の家庭のようだった。一緒に遊ぶときは、自由に、そしてみんなが楽しめるように配慮し、われわれと話をしている時は、音を立てて遊んでいる子に「いまお話をしているから、静かに遊びなさい」とたしなめる場面もあった。その様子は、子どもたちと保育者の間に、しっかりとした関係性が出来ていることを見て取ることが出来た。
家庭的保育のよいところは、ひとりの保育者が、このように親のようにきめ細やかに接し、家のように過ごせることだろう。しかし、その裏腹として、集団生活を経験する場がないことが懸念される。また、保育者が病気などで保育できない時に、子どもたちは、どうなるのか、という問題もある。
この疑問に関して、彼女が答えてくれた。
彼女が手に持っている写真には、彼女自身(右から2番目)を含めて5人いる。全員が、それぞれに家庭的保育を運営している保育者だそうだ。彼女たちは、この5人で連携を組んでいる。もう一つの写真は、それぞれがあずかっている子どもたちが一堂に会して撮った写真だ。このように、定期的に合同で集団のアクティビティをやっている。また、保育者の誰かが休まなければいけない時は、子どもたちは、他の保育者のところで過ごす。さらに、この5人の家庭的保育に通う子どもたちは、普段から、お友達のおうちへ遊びに行くように、それぞれを行き来しているので、子どもたちも、他の保育者に親近感を持っている。
この連携システムは、自治体が主導しているわけではなく、グニラさんたち自らが連絡を取り合って、自主的に作ったものだそうだ。家庭的保育者は、それぞれが個人事業主である。つまり、保育者であると同時に、家庭的保育を運営する上で生じる様々なリスクを回避し、問題を解決しなければいけない経営者でもあるのだ。いわば、保育が好きで、子どもが好きで、親子をサポートしたいという志を持つ社会起業家のようなものである。だからこそ、このようなすばらしい「助け合い・補い合いシステム」を構築できているのだろう。この「助け合い・補い合いシステム」については、同行した大学の先生も、日本でも取り入れることが出来ると、大いに感心していた。
しかし、こうした家庭的保育は、前に訪れたフィンランドでも、そしてスウェーデンでも、どんどん減っているのも現実だ。日本では、待機児童問題の解決策として注目されているが、「保育を担う人材の問題」がカギとなるのだろう。
次のページ次に訪れたのは、ストックホルム市内の公立保育園だ。スウェーデンでは、1998年に幼稚園と保育園が、プレスクールとして一元化され、厚生省(本来スウェーデンでは社会福祉庁だが、便宜上ここでは厚生省で統一している)から文部省の管轄になった。この背景には、1970年代以降、専業主婦が減っていき、ついには、ほとんどの女性が、子どもを産んだ後も働くようになり、幼稚園の必要性がなくなった(保育時間が短いため)ことにある。相反して保育園のニーズは高まっていった。
スウェーデンの政策が優れている点は、管轄を文部省にして、保育園を学校化してプレスクールにした点だろう。国民のニーズは、共働き世帯のための保育であるのだから、本来なら厚生省が管轄する保育園を充実させることも出来た。しかし、スウェーデン政府は、学校(プレスクール)に保育機能を持たせ、文部省管轄としたのだ。これによって、保育士は、「学校の先生」となったのだ。このことは、保育士の社会的ステータスを押し上げた。これまで、スウェーデンでは保育士という職業は、ステータスの低い職業として認知されており、給与水準も一般的な職業に比べ低かった。そのため、高まる保育園需要に対して、恒常的な保育士不足の問題を抱えていたのだ。これに対して、まずステータスの問題を解決したのだ。
それと同時に、保育士給与の引き上げにも取り掛かった。スウェーデンのプレスクールは、高校卒業資格でなることができる保育士と、大学の専門家を卒業してなるプレスクールティーチャーによって、保育(教育)が行われる。ティーチャーは、リーダーとして保育の進め方やプログラムを決め、複数の保育士と共にチームで保育を行う。改革当初、政府は、まず最初に絶対数が足りていないティーチャーの給与水準を、2700~3200クローネ(月35~40万円)に上げた。これは、一般的な職業よりも良い給与水準だ。そして、保育士の給与も2000~2500クローネ(25~32万円)と、一般的な職業の水準に引き上げた。
※単純に日本円にすると高給だが、物価が高いことと、税金が高いことを加味すると、額面の印象ほど高くはないが、それでも日本の保育士に比べたら十分に厚遇である
こうして、ステータスが向上し、給与水準も上がったことにより、今やスウェーデンでは保育士不足は、解消しているという。前に訪れたフィンランドでも、日本でも、同じ理由で保育士不足は深刻なのが現状なので、このスウェーデンの事例は、大変よい先行事例なのではないだろうか。しかし、そう考えると、日本のプレスクールである「認定こども園(幼保一体園)」は、厚労省と文科省の間をとったような総務省管轄なので、微妙な面持ちであることは否めない。
スウェーデンの公立保育園(プレスクール)には、もう一つ政策上の特徴と言えるものがある。それは、国が定める園の保育指針とカリキュラムである。ちょうど写真の園長先生が持っている冊子が、これを記したものだが、たったの21ページで構成され、大まかな内容が書かれているのみなのだ。具体的なカリキュラムやプログラムは、自治体と各園に一任されているのだ。
今回訪れた園のように、ストックホルム市内にある都市部の園もあれば、郊外の園や自然豊かな山間部の園もあるだろう。それぞれで、親の求めるものも違えば、出来るアクティビティも違う。政府は、そうした各園の特徴に対して、自由度を与えているのだ。いかにも幼児教育先進国らしい。
この園では、レッジョエミリアというイタリアの幼児教育法に基づくアプローチに基づいて、園全体のテーマを決めて、そのテーマに沿ってアクティビティを行っている。テーマは子どもたちの興味、関心に合わせて、適宜変えているそうだ。今のテーマは「土・風(空気)・水・火」だそうで、このテーマに沿っていろんなアクティビティやプロジェクトを組んでいた。ちなみに、レッジョエミリアのアプローチは、こうしたテーマを決めたプロジェクト活動のほか、アートや音楽などを取り入れて、創造性を育むことも重視する。
この日は、ちょうど「水」をテーマにしたグループが、氷を使ったアクティビティを行っていた。氷に、色のついた水をスポイトですくってかけたり、塩をかけたりして、氷の溶ける様子を体験するものだ。理科の学びであり、楽しい遊びとしても成立していて、子どもたちは、眼を輝かせて取り組んでいた。
最後に、日本からお土産で持って来た日本の紙風船を、園長先生に渡すと、近くにいた先生が「この玩具は、いま取り組んでいるプロジェクトにうってつけだわ」と言って駆け寄ってきた。そして、いま子どもたちが「空気」をテーマに、気球を作っていることを教えてくれ、「この風船は、教具としてうってつけです。」といっておお喜びしてくれた場面に出くわした。この先生の素早い反応と想像力には感心させられた。先生たちも、子どもたちに何をどう教えようか常に考え、ネタを探しているのだろう。
今回の視察の最後は、ストックホルム大学で、プレスクール・ティーチャー(日本で言う保育士・幼稚園教諭)を養成しているイングリッド・エングダール教授を訪ねた。彼女は、スウェーデンのプレスクール・カリキュラムの作成にも関わっており、スウェーデンの幼児教育の概要や大きな流れを聞くことが出来た。
先の公立プレスクールのレポートでも触れたように、スウェーデンでは、1998年に幼児教育における大きな改革があり、幼稚園と保育園をプレスクールとして一体化した流れがある。この背景には、専業主婦の減少と、働く母親の増加がある。今では、スウェーデンのほとんどの母親は働いているため、保育時間の短い幼稚園のニーズはほとんどなくなり、保育園の需要が増えた。そこで、幼稚園の教育的役割を持たせた保育園として、プレスクールが誕生した。プレスクールは、幼児教育と子どもをケアする役割の両方を担うということで「Educare」(Education + Care)というテーマを掲げる。
スウェーデンのプレスクールの特徴は、指針となる大まかなカリキュラムは定められているが、基本的な運営や教育内容、保育内容は、各自治体と園にゆだねられている点だ。そのため、園(プレスクール)によって、方針や内容がすべて違う。1クラス36人の大人数クラスで運営する園もあれば、6人の少人数クラスの園もあり、イタリアの教育方レッジョ・エミリアを導入する園があれば、スウェーデンの自然教育ムッレを導入する園もある。スウェーデンが目指すのは、すべての園で、質の高い幼児教育と保育を実現することだ。
しかし現状では、多くの親は、家や会社から近いとか、通勤の途中にあるといった利便性で園を選ぶ。一方、園の教育方針や保育体制を見極めて選ぶ親もいる。ここに、幼児教育の二極化が起こるのである。つまり、「選ぶ目を持つ親」と「持たない親」によって、子どもが受ける教育や保育の質に差がでてしまうのである。これについては、エングダール教授も問題視していた。すべての園の質が上がれば、この二極化は解消でき、スウェーデンの教育レベルを底上げすることが出来る。そのためには、質の高いティーチャー(保育士の先生)を育成する必要があると結論付ける。
ここからは私見であるが、スウェーデンのようにカリキュラムに自由度が高い国では、親が園を選ぶ基準が利便性である限り、園の質は上がりにくいのではないだろうか?園の教育・保育の質を常に上げる努力をしない園は、園児が集まらない状況にならなければ、質の低い園は、質を上げる努力や試みをする必要はないのである。つまり、変化は起きないのである。では、どうすればよいか?そのひとつの答えが、私は「親教育」だと考える。
子どもにとって、どんな教育、どんな保育が良いかは、子どもの個性によって違う。だからこそ、親がそれを見極めることが出来るだけの目を持つ必要がある。そして、親たちの園を選ぶ基準が、利便性から教育と保育の質に変われば、園もそれに答えざるを得ない。そうすることで、園の質も向上するし、ティーチャーもスキルアップを要求され、質が向上する。そんな好循環を生むことが出来るのではないだろうか。
次のページ東京から数日の予定で訪れている10人の視察のグループがロホヤのモイシオ保育園を訪れた。 歩未はお母さんの香と一緒だった。 「彼らは日本の仕事上でのヒントを探している」とフィンランドで長く住んでいる通訳の松島は語った。グループには早期教育の教師、職員、学生および家族が含まれている。「彼らはフィンランドは初めてだ。日本からは健康管理や高齢者福祉視察のグループが訪れている」と視察をアレンジしたパイヴィ・ヴェイッコライネンは語った。
日本の大学の准教授で文学の教師の浅木尚美さんは、フィンランドではいかに職場環境に気を配っているかに感心した。「家具の設計に保育園の職員のことを考えている。戸棚に収まった2段ベッドも良い考えだ」フィンランドの就学前教育についても興味を持った。「日本には就学前教育はない、計画段階である。フィンランドの早期教育にたくさんの遊びがあるのは楽しい驚きだ」 保育園の照明と騒音の程度に関しても注意がむけられた。
<写真キャプション>写真は左から順に伊東みゆさん、高橋歩未さん、高橋香さん、廣島大三さん、廣島美樹さん、牧野絢子さん、浅木まさみちさん、小野寺愛美さん、浅木尚美さん、矢治夕起さん
ロホヤには早期教育の職員、学生の10人のグループが訪れて、昨日月曜日はモイシオ保育園を訪れた。 遊びを通しての教育と保育での遊びの多さに感心した。グループ作りにも関心を持ったとモイシオ保育園の園長ウッラ・ターニラさんは語った。ロホヤ市はパイヴィ・ヴェイッコライネンさんが紹介した。
<写真キャプション>高橋歩未は月曜日モイシオ保育園の園庭で降ってくる雪を舌で受け取った。見ているのはお母さんの高橋香さん。
ロホヤには早期教育の職員、学生の10人のグループが訪れて、昨日月曜日はモイシオ保育園を訪れた。 遊びを通しての教育と保育での遊びの多さに感心した。 グループ作りにも関心を持ったとモイシオ保育園の園長ウッラ・ターニラさんは語った。ロホヤ市はパイヴィ・ヴェイッコライネンさんが紹介した。
<上写真キャプション>視察中にテナヴァラークソで子供たちと遊ぶ。
<下写真キャプション>テナヴァラークソでフィンランドの保育園の食事
「ロホヤから日本の保育園のモデルを」
東京の大学の教員(淑徳大学)と保育関係の教員のグループがロホヤの保育園と ネウヴォラを訪れた。職場環境と職員の責任などに関して話し合った。 日本からはPISA(学習到達度調査)の成績の関係でフィンランドを訪れる。ロホヤではこのグループはモイシオ保育園と就学前教育(公立)とテナヴァラークソ保育園(私立と市の中央の家庭センターとネウヴォラを訪問した。その他幼児育成課長メリヤ クーシムルトがフィンランドの保育法のロホヤ市での適応に関して説明した。
「日本の人たちは自己の仕事に非常に具体的なヒントや育成メソッドを探している」とロホヤ市を紹介したパイヴィ ヴェイッコライネンは語った。「私たちの保育の仕方に興味を持ってもらって本当にうれしい。テナヴァラークソでは 小グループと専任職員方式を実地している」と保育園教師のヘイジ・ライティネンと語った。フィンランドと日本の保育園には多くの相違点が見つかる。日本では保育園の多くは民間のもので公立のものは少ない。
自治体組織が保育をバックアップすることは 日本の方々の賛同を得た。日本では出産休暇が57日しかないため子供を3か月で預けることも多くある。職員一人当たりの子どもの人数は日本ではフィンランドより顕著に多く、3歳以上では職員一人につき15人である。就学前教育はない。日本では保育園に園庭がなく遊ぶため公園に歩いてゆく。今回の訪問では日本の方々はフィンランドの保育園の 食事を味わった。フィンランドの多くの保育園と違い、日本では中央キッチンからではなく保育園のキッチンで近隣の食材重視で調理する。
ロホヤでは保育園のほかに中央家庭センターとネウヴォラで健康向上課長のエイヤ・トンミラのネウヴォラの活動の説明を受けた。家庭センターの多義にわたるサービスとネットワークに日本の方々から称賛を得た。「日本では各自治体に子どもを持つ家庭を支援するセンターがあるが、出産前に指導を受ける場所はない。東京に今最初のネウヴォラが開設されたのは大きな動きである。この ネウヴォラはフィンランドのネウヴォラとほぼ同じものである。政府は出産率を増やすため子どもの家庭に大幅の経済援助を計画中である。これは国民が老齢化しもっと多くの若年層を必要としているためである。」と高橋香さんは語った。 日本ではちょっとの傷で訴えられることもある
日本の方々は特にオープン保育園と家庭保育に興味をもった。これはモイシオ保育園の園長ウッラ・ターニラの案内で見学した。フィンランドでは家庭保育が減りつつあるとのニュースには悲しい思いで迎えられた。森歩きと自由行動は称賛された。日本では安全が 強調されすぎていて子供には小さな傷も起こってはならない。安全については色々話があった。「フィンランドでは子どもを大変多く自由にさせるのが驚きです。日本では保育園の職員は保護者の苦情を恐れ子供を保護しすぎる。小さな傷が大問題になり得る。まず親に健康な子供にも傷やこぶがある事を教えなければならない。」と浅木尚美さんは語った。
「ここフィンランドでは事故は起こるものと考えるが、日本では小さな傷で訴えられる事さえある。」とヴェイッコライネンが追加した。 もう一つの大きな違いは育成と競争の関してだ。「日本の基本的な育成の考えが違う。日本は人が多いので小さいときからグループでの 行動と行儀を教わる。その一方で日本は競争社会で子供の成績が悪いと職員や学校を責める。ここフィンランドでは子供の発達が同じでなくとも、成績が悪くともレッテルをはられない。」とヴェイッコライネンは語った。
職員教育と職場環境
日本には保育園教師がないので教育が興味を引いた。フィンランドの絶え間ない職場教育も良いことである。とくに職場環境に注意がいった。「フィンランドで職員の健康に注意するのは素晴らしい。背中の痛みは日本では保育士の職業病です。フィンランドではよい補助器具がありテーブルも上げてある」とたかはしさんは称賛した。 ロホヤの後、このグループはストックホルムへスウェーデンの保育の視察に向かう。以前にはニュージーランドやデンマークで視察をしている。